ふと自分で口にしたこの言葉が気になって、少し広げてみることにしました。
実際にエロゲの制作に関わったことなどあるはずもない、ド素人の稚拙な論考として。
エロゲの画面といえばアドベンチャーゲームとかノベルゲームとか、「立ち絵」と呼ばれる人物イラストと文章の組み合わせによる表現が一般的だと思います。
そして、そのほとんどの場面が人物同士のかけあいであり、文章の大半が台詞だったりします。
ここでプレイヤーが行う作業は、
文章を読み、立ち絵の変化を見、声や音楽を聴き、クリックしてゲームを進める といったこと。
めまぐるしく変化するそれらの中で、
「今、誰がしゃべっているのか」 を表現する手法がさまざまあります。
今回はそれについて分類したり、それぞれについて考えてみたりします。といっても、私がパッと思い出せる範囲での話です。
情報量とわかりやすさ 「今、誰がしゃべっているのか」ということを知るには、
「“手がかり”となる情報量が多いほど分かりやすい」 と考えられます。
しかし、高度な技術や潤沢な開発費が使われている作品ほど“手がかり”が多いかというと、恐らくはそうではありません。(私の経験からの主観的な判断ですが)
そこから、表現として、あるいはコストと効果の面で“最適なポイント”が存在するのだと推測できます。
分類と考察 小説的表現+立ち絵による表現 おそらくは最もシンプルなもの。エロゲ的な紙芝居画面の、最少構成単位。
ゲーム画面いっぱいにテキストが表示される、ビジュアルノベル的なものによくある気がします。
この手法の場合、「今、誰がしゃべっているのか」を知るには、紙媒体の小説のように、台詞の内容や文脈から判断するほか、文字と同時に表示される「立ち絵」の人物や変化といった
“手がかり” が存在します。
「立ち絵」があれば、文字だけの場合よりも“手がかり”が多いため、理解しやすいでしょう。
脚本的表現 これは、人物の台詞の前に、その人物の名前が表示されているタイプのものです。
舞台脚本のように、○○「……」といった形になります。
これはメッセージウィンドウがゲーム画面の下部に固定配置されているタイプの作品に多いと思います。
基本的には台詞の内容や立ち絵から「今、誰がしゃべっているのか」を判断することになりますが、「名前」が指定されていることによって、小説的表現ではありがちな“誰の台詞か見失う”といった問題が少なくなると考えられます。
また、「今、誰がしゃべっているのか」を推理する必要がなくなるため、ユーザーの負担も減るのではないかと考えられます。(といっても微々たる労力ですが)
音声による表現 エロゲの歴史の初期には声優によって音声が吹き込まれた作品はありませんでしたが、今はほとんどの作品に音声が入っています。
この「音声」もまた、「今、誰がしゃべっているのか」を知る“手がかり”の一つになります。
「音声」の登場は、それまでの視覚・文字情報だけでなく、聴覚にも訴えることができるようになった点で、飛躍的に情報量を増やしたと考えられます。
「今、誰がしゃべっているのか」だけではなく、その人物の感情や状態など、様々なものが表現されています。
口パクによる表現 「立ち絵」の口(くち)に相当する部分の画像処理により、あたかも喋っているかのように口が動くという表現です。アニメ的な表現とも言えるでしょう。リップシンクとも呼ばれます。
この表現が登場したのは、性質上「音声」が登場した後のことではないかと考えられますが、ただの推測にすぎません。
アニメ的演出を強化する目的で開発されたのではないかと考えます。
今でもたまに見られる表現ですが、それほど頻繁ではありません。昔は口パクが「ウリ」になっていたこともあるような覚えがありますが、今はあまり顧みられることはないような気がします。
また、この演出は動きの範囲も小さく、位置的にもメッセージウィンドウからも離れているため、「今、誰がしゃべっているのか」を知る“手がかり”としては、あまり機能していないのではないかと個人的には思っています。
(参考)
口パク - Wikipedia フェイスウィンドウによる表現 これは、主にメッセージウィンドウに隣接して表示される、人物の顔イラストによる表現です。
顔イラストの表情などによって、立ち絵と同様に様々な表現が可能になっています。
この表現のメリットは、恐らくは
「視線移動の範囲の小ささ」 ではないかと考えています。
通常のADV形式の画面では、プレイヤーは、画面下部のメッセージと、立ち絵の変化の両方を同時ないし交互に見るような状態になります。この時の上下の視線移動の幅が広いと、目が疲れてしまうこともあるでしょう。
これに対してフェイスウィンドウは人物を区別する“手がかり”となる最低限の情報である「顔」のみを取り出し、さらにこれをメッセージウィンドウに近づけることにより、視線移動を最小限に抑えています。
最近では「天空のユミナ」で、立ち絵の差分による表情の変化の表現などを廃し、フェイスウィンドウの変化だけでそれを表現するという手法がとられていました。
(参考)
ETERNAL オフィシャルサイト 立ち絵の動きによる表現 人物のイラストとその表情差分といったものだけでなく、さらにそれに「動き」を加えることによって、「今、誰がしゃべっているのか」の“手がかり”を増やしている手法です。
この手法では、立ち絵が2Dの通常のイラストだけではなく、3Dモデルによる表現や、モーショングラフィックスによる立ち絵の動きなども含まれます。
個人的に注目したいのは、今回のこの記事を書くきっかけにもなった、うぃんどみるの「祝福のカンパネラ」のような立ち絵の動きです。
主にキャラクターが喋り始める際の
“上下のひょこひょことした独特の動き” が原始的な人形劇の動きに似ているため、私は
「人形劇的表現」 と呼んでいます。
この表現の「今、誰がしゃべっているのか」についての“手がかり”を提示する上でのメリットは、大きく二つあると考えています。
ひとつは、視線移動の少なさ。これはフェイスウィンドウにも言えることでしたが、メッセージウィンドウに透過し被るようにして配置されている立ち絵の小さな動きにより、メッセージウィンドウに視点を置いたまま「今、誰がしゃべっているのか」が分かりやすくなっています。
もうひとつは、「動き」による反射的な情報把握の速さです。フェイスウインドウでは「切り替え後に誰の顔なのか認識するまでのわずかなタイムラグ」があるのに対し、人形劇的表現では「既にある立ち絵を動かす」だけなので、より速く“手がかり”が把握できるのではないかと考えています。「動き」が視界の中心点から外れた場所でも認識しやすい性質を持っていることも無関係ではないでしょう。
しかし一方で、フェイスウィンドウのような「表情」の変化については立ち絵を見なければ判断できないなど、一長一短がありそうです。
例に挙げた「祝福のカンパネラ」では、フェイスウィンドウ(バストアップになってますが)も使用されており、さらに「今、誰がしゃべっているのか」が分かりやすくなっているようです。
(参考)
ういんどみる Official Web Site (参考)人形劇の例 Potter Puppet Pals in "Wizard Swears"
漫画的表現 メッセージウィンドウを漫画の「吹き出し」的に表現することにより、「今、誰がしゃべっているのか」の“手がかり”とする手法です。
演出の複雑さの程度に色々と違いがあり、興味深い表現だと思います。
もっとも有名かつ複雑なところでは、Littlewitchの“FFDシステム”があり、他に例のない複雑な漫画的表現が、動きをまじえてなされています。
(参考)
Littlewitch - Wikipedia もう少し単純化されたところでは、すたじお緑茶の「片恋の月」など、台詞の吹き出しが画面様々な位置に出現するタイプのものがあります。
(参考)
すたじお緑茶 そのほか、固定されたメッセージウィンドウに吹き出しのシッポがついて、「今、誰がしゃべっているのか」を表現しているものもあったと記憶しています。
アニメ的表現 アニメ的表現というよりは、もはや「アニメそのもの」といってもいいような作品です。
Overflowの「School Days」などが該当しますが、こういったものについては、もはや紙芝居の範疇からはみ出してしまっていて、別物として語らなければならない気がします。
(参考)
Overflow OFFICIAL WEB SITE 演劇的表現 いわゆるコンシューマーの2Dや3DのRPGのような、人物の3Dモデルないしドット絵が画面上を動き回る、演劇的な表現です。
エロゲでもまれに見られるものですが、数は少ないですね。
3DRPGの例としては、Leafの「君が呼ぶ、メギドの丘で」があります。
(参考)
●Leaf リーフ公式サイト 最後に ここまで「今、誰がしゃべっているのか」を表現するエロゲ的手法について考えてきましたが、これらの手法が「同じ作品で同時に全て使われる」というようなケースは記憶にありません。いくつかの要素の組み合わせで表現されていることがほとんどだと思います。
動きが多くなりすぎると目の負担になるのかもしれませんし、コスト的な問題かもしれませんし、表現上の思想的な問題かもしれません。「今、誰がしゃべっているのか」の“手がかり”は、多ければ多いほどいいというわけではないようです。
より分かりやすく、より面白く……といった方向性の中で、このように発展・分化してきたのだと考えています。