いつかのtwitterのタイムラインで化物語とFate(+月姫)の関係についてのポストを見たのが始まり。
化物語とFateの主人公が似てるとかパクリとかアンサーとかそういうことにはあまり興味はありません。重要なのは化物語をきっかけに、自分にとってトラウマのようになってるFateの主人公について再考することができたということです。
また特にFateについては記憶が古く
「私の中のFate及び衛宮士郎像」という面が強く出てしまうことと、化物語についてもやはり
「私の中の化物語及び阿良々木暦像」になってしまうことは最初に書いておかなきゃならないところです。今から作品を全部見返すのはちょっと勘弁で、要するにそれらをダシにして自分語りがしたいだけです。
共通点…正義と自己犠牲
阿良々木暦と衛宮士郎に共通するのは、正義を意識していること。また極端な自己犠牲…自殺にしか見えない…を厭わないこと。衛宮士郎の行動は作品内でも異常者のように扱われるし、阿良々木暦もどこかおかしい風に描かれている……と私は認識してます。
両作品について再考するためにいくつか感想などを拝見したところ、彼らはやっぱり変なキャラ(いろんな意味で)なんだなぁと再確認した次第。
私もいまだに衛宮士郎をどう理解したものか決着がついていないので、そのあたり考えようというのが今回のネタ。
主人公たちの内面と過去
彼らを理解しようとすると、やはり彼らの
過去に相当するエピソードを振り返ることになります。
衛宮士郎の場合は彼が現在のような内面を持つに至ったことの説明として、過去の出来事がしつこく語られます。つまり前回の聖杯戦争の被害から生還したことや、衛宮切嗣に引き取られたことです。
阿良々木暦の場合もっと普通っぽくて、学校や家でうまくやっていけないとか、友達ができないとかそんな感じです。そしてそれ以上の説明はないんですよね。にもかかわらず、両者は割りと近い内面を持つに至っているんです。
キャラクターの現在の内面が、その個人の素質でなく
「過去」(環境)によって形成されるという前提を置けば、衛宮士郎のような内面を持つために
特殊な環境は必要ではなく、阿良々木暦のような普通っぽい環境でも充分であると考えることができます。
まぁ阿良々木暦の過去にもっと何か特殊なイベントがあったのかもしれないんですが、今のところは分かりません。
阿良々木暦の上位存在への憧れと自己評価の低さ
私はアニメから化物語に入って原作を読んだクチです。阿良々木暦について考えるにはアニメ版では不十分で、原作を読む必要があります。
彼が「怪異」に関わるようになったのは、原作「傷物語」でキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードという長い名前の
吸血鬼に遭遇したところからです。
傷ついたキスショットに彼は死ぬつもりで自分の血を与える。
そこまでの思考が印象的で、このあたりが結局彼の内面を理解する(した気になる)ための核になる部分なんだろうと思います。
美しくも。綺麗でもない。それが僕の人生なら。この美しいものを生かすために──僕は死ぬべきじゃないか。
(小説「傷物語」より)
自分が何もしてきてないちゃらんぽらんな人間で、自分の命を優先する理由がない。自分が死んでも世界に影響はない。だから上位の存在(吸血鬼)であるキスショットの生命を優先する。これは全て原作に書かれていることです。
ここからつまり彼は
自己評価の低い人間であるということがいえます。そして、自己評価が低いがゆえに、
自分より上位の存在に対して極度の奉仕をしてしまう。彼は
自分の命や存在に対してのコンプレックスがあるんです。
もっと泥臭い話にすると、神と人とある種の宗教的儀式に例えることができます。現世では自分はもうどうにもならないから、自分の身を神(上位の存在)に捧げて死にたい。その先には来世や天国への希求があるかもしれない。そんな感じです。阿良々木暦は「生まれ変わったら〜」と口にしてますね。
この上位の存在というのは、阿良々木暦がそうであったように「美しい」と感じられるものでもある。また人間の形をしている必要はなく、概念であっても構わない。憧れる価値のある美しい
上位の概念。……それがまぁ、彼の場合は
「正義」なんだと思います。
キスショットに身を捧げるのも、正義の味方的な行動に身を投げ出すのも、
彼にとっては同じなんです。上位の美しい存在・概念に身を捧げたいというのは、割と
人間くさい欲望なんじゃないでしょうか。ちょっとイっちゃってる感じもありますけど。
あと蛇足。
阿良々木暦に対する穿った見方として、
ひょっとすると彼は美少女以外は助けないんじゃないかというのがあります。ヒロインにいわせれば「誰でも助ける危なっかしい奴」なんですが、彼が手を出すのは自分の正義に殉じる時か、自分より上位の存在に身を捧げる時だけなんじゃないかと。しかも自分の美意識が前面に出てくるので、相手が「醜い」と多分アウト。だからキスショットが小汚いオッサンだったら、いくら相手が上位の存在でも助けなかったんじゃないかという。
残念ながら阿良々木暦の周囲には美少女ばかりなので、これを確かめることはできません。
他の類似したキャラクター…羽川翼について
自己評価が低く、上位の存在にあこがれるキャラクター……
化物語の中には、もう一人そんなキャラクターがいます。
羽川翼です。彼女は阿良々木暦よりも分かりやすく、いわゆる幸薄い感じの過去を持ってます。そして超人的な頭脳を持っているにもかかわらず、自己評価は低いんですね。「普通の女の子だよー」とかなんとか。
さらには、上位存在への憧れを自覚してもいます。吸血鬼の噂を聞いて、その存在を探しにフラリと出歩く程度には。そして阿良々木暦同様、極端に自己犠牲的なところもあります。暦を助けるためにエピソード(吸血鬼ハンター)の前に姿を現して殺されかける程度には。
一言でいえば、羽川翼と阿良々木暦はよく似ています。
彼らは、上位の存在に身を捧げられるなら、死んでも全然OKなんです。それほど自分に対する評価が低いってことです。
自己評価の低い正義の味方…衛宮士郎ついて
ここまでの話は、衛宮士郎についても同じことが言えると考えています。阿良々木暦について考えることは、衛宮士郎を理解した
つもりになるための糸口。
衛宮士郎にとっての上位の存在は、
衛宮切嗣であり、彼が目指したという
正義の味方です。
ただ、彼の場合は単純に「自己評価が低い」といっていいものかどうか迷うところではあります。他の多くの命が犠牲になった中、自分だけが生き残ってしまったという罪悪感……そこだけを取り出せば、彼は自分を
罪人だと自認してることになります。そこをして「自己評価が低い」ということもできます。
自分の命や存在に対してのコンプレックスという点でも阿良々木暦と共通しています。
この罪人を自認するところは、容易にキリスト教の
「原罪」の思想に結びつけることができます。その原罪は神の概念に基づく宗教的儀式によってのみ克服されうるとか、そのあたりのネタですね。今回はこのあたりについて考えるのがメインだったはずが、随分あっさりしてしまいました。
衛宮士郎についてもう一つ気になってることがあって、それは
「前回の聖杯戦争以前の過去が語られない」ってことです。特に記憶喪失という描写もないはずなのに、一度として彼は自分の家族などについて思い出すことがないんですよ。
これについては、そこが衛宮士郎のキャラクター像にとって
不純物にしかならないから省かれたのかなというのが今の考えです。
衛宮士郎の頭の中には、低い自己評価と上位の存在への憧れ以外はあってはならない。それをして
普通の人間との差別化をしてるんだと思います。まるで誰からも生まれてない、
ある日突然発生した人造人間みたいな感じです。これをいうとまた臭くなりますが、土から作られた過去を持たない唐突な存在……アダムみたいなイメージもあり。
でも阿良々木暦のケースからすると、ひょっとすると前回の聖杯戦争がなかったとしても、衛宮士郎は今と大差なかったかもしれない……というようなことは言えます。そういう人間になるには、特別な過去は必要ないかもしれないからです。一つの可能性として。
セイバーについて。また羽川翼について
化物語における羽川翼よろしく、Fateにも衛宮士郎に似たキャラクターがもう一人います。
セイバーです。
彼女の場合は、自分がダメだったから国もダメになってしまった……というような形で自己評価を低くしています。そして
自分より優秀な王という上位の存在を強く求めています。あるいは
聖杯です。
彼女自身が伝説的な英雄であるということは、彼女にとっては何の意味もありません。彼女にとっては自分はダメな奴で、世界のどこかにもっとマシな奴がいると信じているわけです。ある種の
現実逃避であるとも言えます。
セイバーのそういうところは、羽川翼にも似たものを見出せます。羽川の場合、彼女自身が超人的な頭脳を持っているにも関わらず、上位の存在に憧れて色々と無茶をしてしまう。
彼女にとっての上位の存在とは、恐らくは自分自身の現状(主に家庭の問題。親の死と再婚の繰り返しと現在の親との不和)から解放してくれるようなものなんだと思います。あるいは、
彼女にさえ解決できなかった問題を解決してくれる存在です。
羽川翼は作中では超人なんですが、万能ではありません。それは、最も身近な問題として自分の家のことがあり、それを
解決できずに現在までを過ごしてきたという事実に象徴されています。
決まり文句になってる「何でもは知らないわよ。知ってることだけ」という台詞の裏の意味を深読みすれば、その非万能性……
「自分の家の問題を解決する方法は知らない」ということかもしれません。
超人セイバーにとっての自分の国は、超人羽川翼にとっての自分の家だというわけです。
彼らの命をつなぎとめる鎖…ヒロインについて
化物語もFateもエロゲ的なハーレム構造を持ってるので、当然ヒロインは複数います。そのヒロインたち(ほぼ)全員の熱烈な興味関心の対象になってるのが、それぞれの物語の主人公である阿良々木暦であり、衛宮士郎です。このヒロインたちがいないと、両主人公はとっとと死んでるような気がするんですよね。
特に相棒的に機能している戦場ヶ原ひたぎと遠坂凛の存在が重要。共通点としてどちらも主人公が憧れるような優秀さと美貌を持っていて、ギリギリ人間(超人たちには一歩及ばない)であるという、
上位の存在と普通の人間の中間です。キャラクターにはずいぶん違いがありますが。
彼女らがしっかりと現実に根を下ろして、ふわふわと飛んでいきそうな主人公たちを繋ぎ止めることによってどうにか生かしているという感じです。
自己評価の低い正義の味方がたどり着くところ
衛宮士郎の場合…
「英霊」(概念と伝聞だけで実際に機能した場面が登場しない胡散臭い存在)になって人間の枠から飛び出したはいいが、思ってたのと違ったらしく行き詰まっちゃいました。
阿良々木暦は一生“半吸血鬼”である覚悟を決めてますが、寿命が普通の人間どおりなのかどうかは分かってません。先のことは分からないまま。
彼らの人格を問題視してこれを解決するなら、方向性は最初から見えてます。
自己評価が低いのが発端ならば、評価を上げてやればいいわけです。 まずは気付くこと。低く自分を評価する理屈の非合理性を知ること。自分は本当にダメなのかいい加減な推測で決め付けないことです。
あとは、「無理をしてまで生きてなきゃならない理由なんか一個もないもんな」といった阿良々木暦には、彼女ができてしまった。そのまま行けば親の庇護もなくなり、家庭を持ち、子供も生まれたりするでしょう。つまり
無理をしてでも生きてなきゃならない人間になっていく。衛宮士郎も一緒。
責任ができれば自己評価が上がるわけです。それは「自信が持てる」というのとは違います。自分の命が自分ひとりの裁量で簡単に投げ出せないような価値を持つということです。もうフリーダムに突撃して死ぬことはできません。
他にも色々道はあるでしょうけど、結局は自己評価というポイントに集約されてくると思います。まんま「自信を付ける」でもいいと思いますし。
自分の命に対するコンプレックスが和らぎ、その時にまだ正義感が残っていれば、今よりは理性的に計算しながら正義を行うようになるでしょう。たぶん。
切嗣みたいになっちゃっても、それはそれでいいんじゃないのかと思っちゃいますけどね。
暦の場合は、言動からすると忍野メメっぽくなっていきそう。「勝手に助かるだけ」とかいいながら手を出すやつ。
……そういえば切嗣はどうしてああなっちゃったんだったっけ。zeroは一応読んだはずなのに忘れちゃったなぁ……阿良々木暦や衛宮士郎よりは、どちらかといえば羽川翼やセイバーのような超人のくせにそれ以上を求める感じかなぁ。
忍野はバランスをとるという意味では、Fateの英霊っぽい動きをしてますね。単純に殺戮していくよりは、ずっと“うまくやってる”と思いますけど。あれはあれで一つの答えなのかも。羽川翼が尊敬してるぐらいだし。こっちはやはり、超人系。
オタク的精神の自己評価の低さ
このあたりは自分でもちょっとどうかなと思うところだけど書く。
Fateがエロゲ界の超えられない壁(売り上げ的にだったり二次創作の量的にだったり)の一つとして君臨してる理由として、
キャラクターへの共感があるんじゃないかと考えました。今回のことでいえば、特に衛宮士郎に対してということになります。
この記事を書くために多少は過去の関連記事を調べたりしたところ、どうも衛宮士郎というキャラクターの評判はよろしくなく、ヘタレといわれたりバカにされたりしてます。でもその根底には共感があるんじゃないかというのがそこでの印象。
これは
オタク的精神の自己評価の低さに関係してるんじゃないかというのが、今のところの私の分析です。同属嫌悪というか、投影した自己への嫌悪というか。
オタクといって十把一絡げにしてしまうのは抵抗がありますが、ここでの都合のために
オタクという語の定義を一応決めておきます。
「リア充」(現実の生活が充実してる人間のこと)といって、オタク側の人間と相対化する概念があります。このことから、ここでは
リア充の逆をオタクってことにしておきます。細かいことは置いといて。
このリア充という言葉は、オタクのリアルが充実してないことを表していて、そのコンプレックスがリア充に対する攻撃性として発露しているように見えることがあります。「リア充爆発しろ!」っていうジョークとか。二次元を賛美しつつもどこかに劣等感があり、自己評価を下げている感じです。
つまりオタクというのは一般的に自己評価が低い、ないし逆に自己評価が低いことがオタク的であるといえるのではないかと。
そして自己評価が低くなれば、自然と出てくるのが「上位の存在への憧れ」だと思います。これが例えば中二病とか邪気眼とかいわれるような形で発露してくる。体に自信がなければ精神面で、男としての魅力に自信がなければ殉教者として。あるいはオタク文化にどっぷりつかりながら、批判的精神を発揮することで「上位のオタク」を気取ってみたり。
今回のケースでいえば上位存在に身を捧げる行為だったり、正義の味方に自己同一化してみたりといったところ。語弊を承知でいうならば、
阿良々木暦も衛宮士郎もとてもオタク的なんだってことです。だから共感を得たり、流行ったりしたんじゃないかなと。
一般にオタク系コンテンツの主人公が、能力的に平均以下だったりヘタレだったりあるいはアウトローだったりするのは、共感を得やすくするためだなんて言われます。それはFateも化物語もご多分に漏れないんじゃないかという話です。
そんな彼ら「自己評価の低い正義の味方」には、やはり
自己評価が低いほど共感しやすい気がします。
変に一般化してオタクという用語で誤魔化しましたが、最初に自分語りがしたいだけと言ったように、要するに
私がそうだってことです。
自己評価の低さを自慢するのもおかしな話ですが、相当低い自分にとって、彼ら(特に衛宮士郎)に対してトラウマになるような憧れがあったのかなと今は思います。
自己評価最低の自分も、機会さえあればできるかもしれない(できないけど)、安易で美しい死に方。そこにヒロインがついてくるのは、結果論であって目的ではありません。
とはいえ彼らが
下半身でものを考えて正義の味方を気取ろうとしてきた可能性は、全く否定しません。それはそれで救いのような気がしますし。
ひとしきり書いて満足満足。