吉幾三さんとニコニコ動画のことについては下のリンクなどを参考にしていただくとして、私がこのMADを見て感じたこと。要するにただの感想文です。
最近本人がニコニコ動画に降臨したと話題になって、それから動画を拝見しました。
一度聞いてすっかり中毒になりました。他の同じ吉幾三MADには感じないものを、このMADに“だけ”感じるんです。一体自分は何に対してこんなに感動し興奮しているのか、自己分析を兼ねて。
削られた歌詞
ただカッコイイだけなら他の歌も同じはず。ではなぜ私は
このMADにだけ特別なものを感じたのか。
そうやって分析しているうちに、あることに気づきました。
それは、他のMADでは使われている部分の歌詞が、このMADにはないことでした。
このMADを見てもらえば分かるんですが、元の「俺ら東京さ行ぐだ」からゴッソリ歌詞が削られている部分があります。
それは
「自分は村が嫌だ(意訳)」という部分と
「東京出てからすること(意訳)」の部分。
このMADには「〜が無い」という部分しか使われてないんです。これが大きな特徴だなと。
歌詞の意味の変質
元の歌詞の意味をアバウトに要約すると、
「自分の村には〜がないから嫌だ。出て行って東京で〜をする」というところ。
「東京で〜をする」という部分がギャグ要素になってるのでコミックソングでしょうね。
現在ではちょっとありえないような「村」と、そこで生まれ育った青年のコンプレックスや自立心を軸に、青年のズレたセンスで笑いを誘う感じです。
ところがこのMADでは歌詞が削られ、「無い」部分だけになっていることで、意味が変わっているんです。
私はこの変質した後の歌詞の意味を
「自分の住んでいる場所はこんなに何も無いんだ」という強烈な主張だと捉えました。
意図的にこのように作られたのか、偶然なのかは私には分かりません。
無いからなんだ!これが俺だ!
「無い」ことからくる飢餓感。自虐・自嘲。これだけなら“ただ暗いだけのイメージ”でしかありません。
鬱屈した青年のジリジリと焼け付くようなストレスばかりが感じられます。
この変質した歌詞に、強い高揚感のあるカッコいいメロディーが合わさることで、その“主張”は
“叫び”を感じさせるようになる。そして青年の満たされない自分と、足りない周囲の世界との
“戦いへの予感”です。
その「戦い」はもう、田舎の青年のズレたセンスのお笑いじゃなくて、多分ものすごく
マジメな「戦い」になるでしょう。本人的には命を賭けてるぐらいの。そして「戦い」を決意した時、青年は“大人”になるんじゃないかなぁとか。
あるいはもう「答え」を見つけてしまったのかもしれないし、手に入れてしまった後なのかもしれない。ならば、そこに至るまでに何があったのか。
何かそんな、個人のことだけど、それでも
壮大な物語の存在を感じさせるんですよね。このMADは。
歌詞にあるのは「村」のことばかりですけど、多分それ以上の意味があります。
「自分」のことです。
村にはこんなに何にも無いんだ。そして、自分にもこんなに何にもないんだ。そういう悲しい自覚。そしてこの青年は、自分自身を見つめることから、絶対に逃げない。
「笑われたからなんだ!“無い”からなんだ!欲しいなら手に入れろ!これが俺だ!」 解釈がおかしいかもしれないし、そんな意図で作られてるかもしれないし、他の人はそんな風には感じないかもしれないけど、私はそんな風に感じたんです。
でも、私がこの記事で書いたことだけでは、私自身が感じた全てを説明できているとは思えません。しかし言葉になりません。
動画で本人が歌っている様子も見られますし、再生数も多いですし、はてブ数も突出してます。きっと私が言葉では説明しきれない何かがあるんじゃないでしょうか。