私の「声優さんの顔出し」に対する抵抗感が消えるまでのお話。
最近このブログは声優さんとウェブラジオの話題が頻出してます。
しかしこの状態は以前の私には考えられないものでした。声優さんの「顔出し」に抵抗感があったからです。
克服できるとは思ってなかったその抵抗感が、いつのまにか消えた。でも何故問題がなくなったのか自分でも判然としない。
そこで、どのようにしてこういう結果になったのか……に関する後付け的な考えをまとめました。
段階1:声優の存在を認識する
私が声優さんの存在を認識したのは、記憶している範囲では深夜アニメのCMです。
アニソンのCMに声優さんが実写で出ていたんですね。
この頃はまだ顔出しに対する抵抗感はありませんでした。
恐らく「作品のキャラクター」と「役者」のイメージが剥離していたからだと思います。
ウルトラマンの中の人を紹介する番組を見ても特に抵抗感はない。そんな感じでしょうか。
声優の場合は「声」によって「役」と「中の人」二つを関連づけられますが、ウルトラマンならソレが無い。
段階2:着ぐるみの頭部が外れる事故
抵抗感が生じたのは恐らくこの段階。
予期せずに「キャラクターと声優を一致する情報」を与えられることで、作品を視聴する集中力が絶たれてしまう。
例えるなら、遊園地のキャラクターショーで、着ぐるみキャラの頭部が外れ、中の人が見えてしまう“事故”のようなもの。
ルックスとは無関係に、何もかもぶち壊しになる。美人だったらよい、などということは無い。
強いストレスによって、作品の視聴に支障が出るケースが出てきた。要はトラウマと呼ばれるものである。
具体的な顔出しのタイミングとしては、アニメの番宣や何かの企画や、番組中の演出で実写を使う場合など。
不意に与えられる情報には「顔出しが嫌なら見なければいい」という対応はとれない。とれるとしても困難であり不確実である。
「アニメを見る以上声優の顔出し情報は不可避」だった。
「顔を見てトラウマになった」とはいかにも酷い話だが、顔の良し悪しにはあまり関係がない。
段階3:視聴する作品の淘汰
ここに至って
「顔出しが嫌で見たくなくなる“程度”の作品なら見なくてもいい」と割り切るようになる。
視聴する作品は減ったが、フィルターが強くなることで作品の質は相対的に上がった。
アニメが見られなくなったところで、
娯楽が一つ減るだけだと気づく。問題は大きくはない。
段階4:特定の声優さんへの興味
「この声優さんの声をもっと聞きたい」「この声優の声は回避したい」という“好み”が出てくる。
これを反映して情報を集めるようになるが、情報を集めればやはり「不意の顔出し」は不可避である。
と同時に「声優ファン・声オタ」の存在が目に付くようになる。
特定の声優さんをアイドルのように扱っているのだが、まるで理解できない世界だった。
どうすればこういう感覚を持ちうるのか興味が沸く。
段階5:顔情報の収集
某掲示板の関連板で「顔」を探せば簡単に大量の情報が手に入った。
拝顔にあたっては悲喜こもごもである。茨の道だった。多くは語るまい。
「アイドル声優」といわれる類の女性声優についても相当数を拝顔した。しかし特定の声優さんに対する「ファン心理」は生まれなかった。
ファンたちはいかにも楽しそうに声優について語る。
それを見るにつけ、アニメにせよゲームにせよ「声」は不可欠であり、オタクとして声優のビジュアルを含めたファンになれないのは損失だと考えるようになった。
しかしファンにはなれない。残念である。
段階5.5:特定の声優に飽き
名前と顔と声が一致するようになった頃、同時期に複数の作品のメイン級で出演している声優さんの声が一部、視聴の際に“強いストレス”になっていることに気づいた。
下手だとか声が嫌いだとかそういうことではない。
特定の「声」が複数作品を横断していることで、キャラクターの認識に混乱が生じてストレスになっているのかもしれない。
「飽き」というには語弊があるかもしれないが、便宜上そう呼ぶことに。
あるいは声優さんを「個人」として認識することで、「またこの人か」と特定しやすくなってしまったことや、声から本人のイメージが連想できるようになったことも原因かもしれない。
また視聴する作品が減った。
段階6:ウェブラジオとの出会い
転機が訪れる。ウェブラジオとの出会いである。
ここではじめて、「声優さんというのは喋らせると面白いのだ」と知ることになる。
と同時に声優さん個人の人格を意識するようになった。
これによって
「名前と顔と声だけの裏方スタッフ」から「人格のある役者」へと認識が変わった。
これを契機に様々なラジオを聞き始めたが、添付された顔写真にはまだ慣れなかった。
(いい意味で)現実味の無い声と、現実そのものである写真のギャップはなかなか埋まらない。
どうやら私は声優さんを、「役者」とも「芸能人の類」だとも思ってなかったことを自覚した。
裏方が見切れていたら、そりゃ事故としか思えないはずである。 テレビ番組でADの頭が見えてたら大抵NGにしかならない。バラエティならともかく、ドラマや映画では特に。
段階7:キャラクターの中のキャラクター
段々とウェブラジオにハマっていくにつれて、自分の中に変化が生まれてくる。
「アニメ作品のキャラクター」と同様に
「声優さん個人のキャラクター」を意識していることに気づいた。
キャラクターの中のキャラクター。
語弊を承知でいうならば、
「着ぐるみの中の着ぐるみ」として声優さんを認識できるようになっていたのである。
ウェブラジオその他から得られる断片的な情報によって構築される、名前と顔と設定を持った人格イメージ。まさにキャラクターである。
ラジオは「作品」となり、声優さんはその作品の中の「キャラクター」となった。
特定の声優さんのキャラクターを好むようになり、限定的に顔出しに対する抵抗感が薄れていった。
段階8:キャラクターの優位が入れ替わる
「作品キャラ」と「声優キャラ」の二種のキャラクターを認識するようになった頃、アニメを見る機会よりも、ラジオを聴く機会の方が遥かに多くなった。
私の声優に対する認識は、「あのアニメの××役の○○さん」ではなく「あのラジオの○○さん」になっていく。
「出演作のキャラ」と「声優のキャラ」の優位が入れ替わった。 声優先行で作品を認識する段階である。 ここまで来ると「声オタ」と呼んでいいのではないだろうか。
「飽き」に関しても状況の変化があった。
視聴する作品が減ったことが原因かもしれない。
あるいは「声優のキャラ」という「出演作のキャラ」に対するメタ存在が固定化することで、混乱していた認識が正常化したのかもしれない。
この段階になってやっと
「ファン心理」が生まれ始めた。
顔の造作はあまり関係がないようだ。芸人や役者のルックスには、愛嬌があれば好感は持てる。
段階9=現状:克服と反転
アニメは見ていないのにラジオだけは聞いている……というケースが増えた。
この状態ではそもそも「出演作のキャラクターという着ぐるみ」が存在しない。だから
「着ぐるみの頭部が外れる」という事故は起こりえない。
「ラジオの中のキャラクターが崩れる」ということはありうるが、ディフォルメされたアニメキャラではなく「人間」として存在する「声優キャラ」は柔軟性に富む。仮に“地”が出たとしても、それもキャラクターの一部として認識されるだけだ。
ここまでくると、いくら顔写真を見てもなんら抵抗を感じなくなる。
そもそも「出演作」と「声優」が結びついていない状態なので、そこには
「○○というラジオパーソナリティ」しか存在しない。
時々声優さんが「出演作のXXというキャラ」をラジオ内で演じることはあるが、認識にあたっての優位は声優さんにある。
ただ、この段階になっても
「アイドル視」することはできずにいる。「ファン心理」と「アイドル視」は違うものらしい。
そもそも一般の顔出し芸能人に関しても、ここ何年もアイドル視したことがないのだから、仕方ないのかもしれない。
少し残念。
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まとめると……
何かの作品で、不意打ちで着ぐるみの頭部が外れて中の人が見えてしまった時、中にいるのもまた別のキャラクターだったなら、着ぐるみショーとしては破綻しても、キャラクターショーの体裁は維持される。
着ぐるみショーが破綻したのは残念だが、別のキャラクターショーが始まっただけなら、ショックは少ない。
それはあくまでも“事故”ではなく“ショー”だからである。 克服までの道のりは紆余曲折あり、短くはなかった。
また、ウェブラジオがなければ克服はありえなかったと言っていい。おかげでまだアニメを見ることができる。
ありがたいことだ。娯楽は多いほうがいいに決まっている。
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◆「顔出し賛成派か反対派か?」 あまり意味のない問い。最初から抵抗のない人もいるはず。
抵抗がある場合は、積極的に慣らすのが速いだろう。慣れられなければ諦める。
克服してしまえば「顔情報」は声優さんのキャラクターを構成する重要な情報になる。だから現状では賛成派ですね。
しかし反対派だった頃もあるのが事実。手放しに賛成はできない。
起こりうる「事故」のショックを緩和し、むしろ「事故」でなくするための手法が洗練されていけばいいなと思います。
既に克服した私にはもう関係の無いことではありますが。
私もアニメのED等での顔出しには少し抵抗感がありましたが今は慣れました。
管理人さんの書かれていることと同じ理由だと思います。
ラジオ等で声優さんのパーソナルな部分を認識するようになったらあまり気にならなくなりました。
しかし、未だに慣れないのがゴールデンタイムでの声優さん特集番組です。
どうも違和感が・・・。