散録イリノイア

美少女ゲームとWebラジオと声優さんが好きな、ただのオタクの備忘録。不定期すぎる更新

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【動画】 私が吉幾三MAD「吉幾三×Capsule(略)- IKZOLOGIC Remix -」に感じたもの  [ 2008/07/30 ]

 
 吉幾三さんとニコニコ動画のことについては下のリンクなどを参考にしていただくとして、私がこのMADを見て感じたことをつらつらと。

歌詞の組み換えによる意味の変質


 自分はなぜこの動画が気になるのかと分析しているうちに、あることに気づきました。他のMADでは使われているある歌詞が、このMADにはないんです。元の「俺ら東京さ行ぐだ」からゴッソリ歌詞が削られているんですよね。
 で、このMADには「〜が無い」という部分の歌詞しか使われてないんです。これが大きな特徴だなと。


 そして、歌詞が削られ組み替えられることによって、どうも意味が変質しているような気がしたんです。
 元の歌詞の意味を要約すると、「自分の村には○○がないから嫌だ。出て行って東京でXXをする」ということ。「東京で〜をする」という部分がギャグ要素になってるのでコミックソングっぽい気がします。現在の日本にはちょっとありえないような「村」と、そこで生まれ育った青年のコンプレックスや自立心を軸に、青年のズレたセンスで笑いを誘う感じです。

 ところがこのMADでは歌詞が削られ、「村には○○が無い」の部分だけになっている。これによって、「自分の住んでいる場所はこんなに何も無いんだ」という強烈な主張として聞こえてくるんですよ。
 意図的にこのように作られたのか、偶然なのかは私には分かりませんけど。面白いなと思ったんです。

無いからなんだ!これが俺だ!


 意味が変質した歌詞から感じられるのは、「無い」ことからくる青年の飢餓感。自虐・自嘲。
 しかしこれだけなら“ただ暗いだけのイメージ”でしかありません。鬱屈した青年のジリジリと焼け付くようなストレスばかりが目立ちます。

 ところがこの変質した歌詞に、強い高揚感のあるメロディーが合わさることで、その“主張”は“叫び”を感じさせるようになる。そして青年の満たされない自分と、足りない周囲の世界との“戦いへの予感”が高まってくるんですよ。
 その「戦い」はもう、田舎の青年のズレたセンスのお笑いじゃなくて、多分ものすごくマジメな「戦い」になる。本人的には命を賭けてるぐらいの。果たして彼がそこに至るまでに何があったのか想像を膨らませてしまいます。
 何かそんな壮大な物語の存在を感じさせるんです。

 村にはこんなに何にも無いんだ。そして、自分にもこんなに何にもないんだ。そういう悲しい自覚。そしてこの青年は、自分自身を見つめることから、絶対に逃げない。
 「笑われたからなんだ!“無い”からなんだ!欲しいなら手に入れろ!これが俺だ!」
 とでもいうような。
 他の人はそんな風には感じないかもしれないけど、私は感じたんです。


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